卓上戦諸録(D16)

D16の卓上ゲーム記録

身口意三密

 D&Dだと、怒りに身を任せて行動するっていう行動は取りにくいし、それをシーンとして評価するっていう風には行きにくいのかもしれない。それよりは、怒りは心に静めて剣を取り、方策を練る。復讐の炎に身を焼かれてても頭はクールでなければ――生き残れない。
 D&Dの怒りは手段としてのメタに管理できる「怒り」「奮闘」だろう、バーバリアンの激怒、バードのBardic Music(呪歌)が駆り立てる士気ボーナス、ウィザードが感情操作するEmotion、そして高貴なるパラディンの破邪顕正のオーラ。
 手段として記述されてしまう怒り。PCはともかくプレイヤーはクレバーに立ち回ろうとする。もちろん、より良い激怒をPCにさせるために。
 本当はプレイヤーだってはらわたが煮えくり返っている。ただし、その怒りは口に出し状況をのろうためには使わない。
 手元のリソースと目標を比べてじっと、相手の面をはたくのに準備を進める。ポーションを買い、剣に呪譜を連ね、大枚で古い魔道書のページをそろえる。
 相変わらず地味だ。重荷重にならないように、1人でのヘイスト、空気のない環境での活動能力、それらをアイテムやクスリで備えた戦士たちが三々五々集まる。まずは、五つの次元界を超えて奈落の炎の滝に張り出した砦に急襲をかける
 
 じゃあ逆に、怒りそのものが物語的に主人公に力を与えるシステムを考えよう。PCは安物のドライ・ジンに今はない仲間の思い出をかき集め、ボールルームに集まった仲間たちが先に逝った奴の思い出や遺物を語る。こうして怒りやらかなしみやらの行き場を失った感情がキャラクタープレイにより、引き出され、煮詰められ、そして編み上げられる。
 柱時計が鳴る、鳩が飛ぶ。
 腹は据わった、二丁拳銃にジャックナイフ、衛星通信からの標的クラック、怒りを解き放とう。

 どっちのやり方の方がプレイヤーの怒りが表現できているだろうか?そしてどちらのプレイスタイルの方が単純に“気持ちいい”のだろうか、ストレス発散して。