卓上戦諸録(D16)

D16の卓上ゲーム記録

RPGとプロレスについての最近の論考

 先日RPGについての興味深い論考(白河堂氏の『神饌喰い。』:カイヨワ的RPG分析論・再考)をよみ、それから思うところを書き留めました(D16の4/22の一連の文章)。
 僕の書き散らかした文を読んで白河堂氏は次いで「競技と演劇──永遠のシュマーク」という題でRPGのプレイヤーを『観客でありながら、競技者代理でもある。しかし結局、完全な観客にも、そして完全な競技者にもなれない』と競技と見世物のせめぎあいという構造でどちらにもつかず漂う状況について言及しています。で、白河堂氏はプロレスを見ないとのことで、その論考を回転翼氏にバトンタッチしました。
 回転翼氏は自コラムの『うがつもの』で「力道山とタッグマッチ 〜プロレスとTRPGにおける「わざとらしさ」の「間」〜」を記します。そこでは、RPGとプロレス双方に共通の“わざとらしさ”を引き、「なぜ、本気でやってしまわないのか」という疑問、プロレスの間のわざとらしさを“タッグマッチ”による緊張の緩和に求め、そこからRPGのストーリー性をTRPGにストーリーを入れるのは、プレイヤー本人の性質からゲームを分離するためのクールダウンの手法のみならず、感情移入というヒートアップの手法を自然に取り入れるための手段でもあります。」としてまとめました。
 それを受けて白河堂氏はベイビーフェイス的勝利──あるいは空白のゲーム性として、プロレスではどちらが強いかという優劣をただ求めるのではない視点があること。そして、競技性を持つはずのRPGにおいて、キャラクターの演技により自ら制限を課してしまうことについて書いています。
 D16自身はこの白河堂氏、回転翼氏の観点・論に必ずしも同意はしないのですが非常に面白く読みました。もう少し自分の考えをまとめてこの話をしてみようと思います。
 その上でまず、かつて自分がWeb上で読み、非常に影響を受けたプロレスとRPGの論について紹介します。