卓上戦諸録(D16)

D16の卓上ゲーム記録

中国の風水思想―古代地相術のバラード

中国の風水思想―古代地相術のバラード

中国の風水思想―古代地相術のバラード


 改定前の本を大学の図書館で借りて、そのまましばらく借りっぱなしだったもの。卒業前には返したのだけどちゃんと全部読めていなかったので、もう一度読み返しに。大学近くの古書屋で新しいのあるのを見つけて購入。あとから気がついたらそもそもその古書店が版元だった。

 もとより、人文科学分野は門外漢なので著者のデ・ホロートという人も前書きなどでオランダの中国学者って事くらいしか知らない。題名に引かれて手に取ったのは大学4年くらいのころなので、風水に関してもミーハーな興味から一歩踏み進んで「実際にどんな技術体系だったのか」を具体的に知りたいってころだった。図面やらなにやら何でもいいから「実際の風水」、「地理学としての風水」を見たかった。

 で、この本。

 僕にとって、「現代の観察者による解釈を経ない風水の情報」として非常に有用だった。風水という風俗を冷徹にその思想となる背景を含めて諄々と解き明かしてくれる。何よりもこの本に顕著なのは「風水」という文化・風俗に興味こそあれ、なんら憧憬を持たない、配するという姿勢だと思う。

 ある意味、植民地の風俗を冷静に、そしていくぶんか高みから見下ろすように紹介する視線はフェアなものではないのかもしれない。けれど、少なくとも日本で現在風水について得られる情報でまともなもののうち、この種のものは多分、無い。

 この中で最もエキサイティングだった一節は次のようなもの。

(前略)在来の風水思想はあどけない矛盾と微妙な神秘主義から成り立っている単なる混沌であり、そうしたものが詭弁的な論証によってともかくも一つの組織に固められたわけで、実は科学の奇妙な戯画なのである。しかしながらそれは、記述民族学的な視点から見れば高い教訓を与えるものである。人間の心が、粗野でしかも実際的な観察方法によって大自然の正当な知識を得ようと手探りする場合に、得てして陥りやすい錯誤というものは、当の民族の生活や歴史の中の他の現象を調べるよりも、むしろ錯誤そのものを調べることによって一層明瞭に解明されるものである。

 奇妙に聞こえるかもしれないが、この一節を読んだ時、僕はこの本を読むことで風水についてより深く知ることが出来る、枝葉末節でなく、風水という技術や思想の根幹を、逆行に照らされた様で知ることが出来ると確信した。

 事実、風水というものを説明しようとする1章、2章、3章は風水学とされているものの基本を非常に簡潔にしかし、遺漏無くまとめてある。批判的に検討しようとするなら当然のことなのだけど、「憧憬」で風水を捕らえる書物にはこの鋭さも徹底も無い。この前半部分だけで風水を表向き知るに十分な内容がある。

 本領は後半部分だけど、そっちはまだ観想をかけるほどには読み込んでないのでとりあえずここはストップ。