卓上戦諸録(D16)

D16の卓上ゲーム記録

メモ・4thのヒット・ポイントについて

Thursday, January 17th, 2008のEn World経由、WoCスタッフのChris Simsのコメントより。
http://www.enworld.org/showpost.php?p=3998408&postcount=37

 Your problem seems to be one of perception and trying to define abstract rules systems in concrete “this is how it looks in the world” terms. That can be difficult, and it always has been with the abstract nature of D&D hit points. With 4e, hit points and healing surges combine abstractly to define the resilience of your character. Like others have said, if you use a healing surge, it’s more like you weren’t hurt as badly as it seemed or you shook off the damage in a heroic manner. If you don’t manage to, you were hurt or at least left in a vulnerable position when it comes to the harm further hits deal. It might be a little hard to imagine in a narrative sense, but that’s not unlike D&D through the ages in any case. It certainly feels cinematic in play—more so if players use it as a roleplaying cue. It also gives each PC some control over his or her condition during combat, forcing no one PC to be the healer. That is, no one has to use all his or her actions to facilitate the fun of others by casting healing spells or using healing skills/abilities. Sure, that good cleric is still a healer, but he’s also a punisher of evildoers!

 忘れがちだけど、D&Dのヒット・ポイントというシステムはそのPCが行動不能になるまでを処理するための抽象的なシステムであって、定量的な基準じゃないってこと。
 つまり、hp1ポイントを体重だとか、体の組成だとかのデータから算出するわけじゃないので、身長1mに満たないハーフリングが100hpを持っていて、2m近い大男が8hpということも起こる。
 4thでは個々のキャラクターにヒット・ポイントを回復する手段が用意されるけど、それは気合を入れるとケガが見る見るうちに直るとかいうものでは“なく”、見た目よりひどく傷ついていなかったとか、ヒロイックな手段でダメージを手当てしたり(マンガとかでよくある、傷口に手を突っ込んで止血とかですかね)しているということをhpの回復という形で抽象処理しているのだということだ。

 もしもその回復手段を使わなかったなら、“実はひどく傷ついていた”り、“与えられた傷がよりひどくなるまで放っておいた”ということになる。ちょっと物語的にはわかりにくいけど、どっちにしろこれまでD&Dでこういったことがなかったわけではない。
 これは映画的な感じで、プレイヤーはロールプレイのねたにしたらいいよ あとはまぁ、こうすることで各キャラクター&プレイヤーが戦闘中自分の面倒をある程度見られるようになり、PCの誰かに治療役を押し付けずに住む。つまり、戦闘中に治療関係の技術や呪文にかかりきりになるPCが必要なくなるということ。
 善のクレリックはヒーラーであるけど、同時に悪を撃つ存在なのだ!

 
 後半ベタ訳になってしまいましたが、要約するとこんな感じらしい。
 というわけで、4版がでて遊び方を教えたり、既存(とくに3.0版以前のD&Dからの復帰組など)のユーザーを相手にする時には、クレリックの仕事とキュアの扱いについては、これまでのイメージとは大きく異なるということを意識的に教える必要がありそう。

 ロールプレイ的には「ここは本来抽象表現なんだから、使う方で膨らませてね!」というのがおもしろい。

 なんとなく思い出したのがロマサガ2のラストダンジョン(正確にはそこに旅立つ前のアバロン)。最終皇帝がアバロンの子供たちから10クラウンと千羽鶴をもらうんだよね。
 で、これをアイテムとして使用すると技ポイントとMPが全回復する(ロマサガ2ではhpは遭遇ごとに全回復するからアイテムで回復する必要はない)。

 10クラウンも、千羽鶴も“魔法のアイテム”なんかじゃない。けど、ジェラール以降ずっとアバロンを見てきた最終皇帝と仲間たちにとっては、なによりも己の勇気を奮い立たせてくれるものだったわけで。

 そもそも、クレリックの回復呪文も「見る見るうちに傷を治す」という種類の物じゃなかったんだよね。祝福なり信仰の気概を対象に与え、引き起こすことでもう一度戦えるようにする、それがキュア呪文だったともいえる。
 考えてみればhp回復と状態回復は呪文のグループ違うしね(キュア系とリムーヴ系)。

 いや、もしかしたら常識だったのかもしれませんが(hp周りの解釈)、自分にとっては新しい+ぼんやりと考えてたことを裏付けてくれた文章でした。
 あれですね、DM・PLともに確かにいいRPのネタになりそう>回復。