卓上戦諸録(D16)

D16の卓上ゲーム記録

冒険するための遊び

 実は3.0になってから、D&Dではシナリオ(scenario)というものはない。日本で冒険シナリオシリーズとして出されている製品群も実際にはAdventure Seriesだし、そもそも日本語版ダンジョン・マスターズ・ガイドでシナリオとされているところはAdventureであって、ダンジョン・マスターズ・ガイドにはシナリオという言葉はない。
 日本語版ではシナリオとされているけれども、これは故無いことでなく、日本のRPGでは相当するものを長らくシナリオとしてきたので慣用に従ったものだ。前までは特に考えずにスルーしてきたのだけど、ここ最近、このことの意味を考えている。
 つまり、D&DにおいてDMが準備するものはやはり、シナリオ(scenario)でなく冒険(Adventure)なのだと。
 ダンジョン・マスターズ・ガイドで言うところの「土地型のシナリオ(Site Based Adventure)」はそれがもっとも明らかになっている例だろう。そこには、地図と遭遇の詳細があるだけだ。遭遇が動的なものであれ、静的なものであれ、この冒険にシナリオという語から想像される「物語の流れ」は存在しない。いや、「DMが想定する物語の流れ」は存在しないと言い直すべきだろうか。
 確かに、遭遇の主体となるモンスターやNPCにはそれぞれの目的、意義があるかもしれないけれど、どのような順番で遭遇が起こるか、そして、その遭遇にどのようにPCが対処するかはDMの手の及ぶところではない。ここに、DMによる物語の誘導は意図されていない。*1
 一方「事件型のシナリオ(Event Based Adventure)」はどうか? 起こるイベントは基本的にDMの管理下にある。そこにはDMによる物語の誘導が存在しているように見える。
実際に、このやり方ならDMによっては自分が想定する物語の流れにPCをそれとなく(もしくはあからさまに)誘導することもできる。
 しかし、冒険シナリオシリーズの「夢に囁くもの」を見てもらうとわかるが、少なくとも供給されている「事件型のシナリオ」では、タイムラインやフローチャートで示されたイベントが起こり、それにPCが対処していくというスタイルをとることが多い。
 もちろん、DMが操作する冒険を示すという点でこうした書き方しかできないのだとも言えるのだけど、結果準備してあるものはたとえ「事件型のシナリオ」であっても一定の物語の流れを示すものではなく、PCたちが出くわす遭遇の説明になっているのである。
 つまりだ、D&Dのシナリオ(Adventure)ってやつは、冒険譚の筋書きではない。文字通り、PCが力と脳漿、技能と魔法、持てるリソースをもって取り組むべき「冒険」それ自体を示しているのだ。
 D&Dにおける物語は取り組んだPCたちの奮闘の過程、結果であり、そこには演出はない。すくなくともDMが冒険をデザインをする時点で組み込むような演出はないのだ*2

 かつて、SFオンライン(http://www.so-net.ne.jp/SF-Online/)で3版が取り上げられたとき(http://www.so-net.ne.jp/SF-Online/no48_20010226/review_game3.html?2)、批評子の星野富美男氏はこのように述べた。

肯定的な評価が続きましたが、もちろん『3rd Ed』は完璧なRPGではありません。『2nd Ed』のときほどではありませんが、この『3rd Ed』も意外な部分があきれるほどコンサバで、「21世紀のRPG」を期待すると大きな失望を味わうことになってしまいます。
 なかでも、日本の最新RPG群を見慣れた眼にもっとも奇異に映るのが、ヒーロー・ポイントの不在です。スキル&フィート(特技)・システムの充実によって、『3rd Ed』は『D&D』史上もっとも大きな自由度をプレイアーに提供していますが、それでも「ダイス目しだいで、死ぬときは死ぬ」RPGであることは変わりません。演出はマスターに任せるのが『D&D』の思想なのでしょうか? アメリカRPG界の保守本流である『(A)D&D』系列が、一貫してヒーロー・ポイントの採用を避けてきたことの意味については、いずれ、場をあらためて考えてみる必要があるかも知れません。
(強調筆者)

 もちろん違和感があったのだけど、ようやく言語化できそうな気がする。
 少なくとも、保守D&Dにおいてセッションの目的は「英雄譚を楽しむこと」ではなく「冒険を楽しむ」ことなのだ。
 だからこそ、旅立つ前の装備の準備、戦術確認が楽しいんだ。
 だからこそ、悪天候や食料、水の枯渇、そして多元宇宙の想像を絶する環境が嬉しいんだ。
 だからこそ、怪物たちが怖いんだ。
 そして、成し遂げた冒険に満足できるのだ。

 仮にロールプレイングゲームが「ストーリーを楽しむもの」であるなら(いや、もちろん極端な仮定だってわかってますよ)、その意味においてD&Dロールプレイングゲームではない。別に役割(Role)を演ずる(Play)とか果たす(Play)とかそういうのはどーでもいい。
 D&Dは実際に僕らができない「冒険(Adventure)」をするためのゲームなんだ。

*1:もちろん、運用の際には物語は生成されるし、それを裁定し管理するDMは物語を誘導することも可能だ、けれど、それは準備してある物語に対処するのではなく、遭遇に対処することにより結果的に物語が紡がれているのである

*2:もちろん、プレイ中はPC、DMともに思わず「演出」してしまうのはしょっちゅうだ。そこも間違いなくD&D、いやRPGの面白さなんだから。▼全力で取り組むからこそ、悲鳴、勝どき、達成感がある。「演出」がもたらすはずのそれらの感覚をプレイヤーは追体験できる。時には、喜怒哀楽の感情すら。▼そしてもちろん、最高の演出装置はダイスによる天運なわけだ