卓上戦諸録(D16)

D16の卓上ゲーム記録

より多くの物語を

 ロールプレイ支援エンジンなどがついてない、質実剛健なD&Dのシステムでストーリーを楽しむ。
 いや、よく練られた遭遇を全力を尽くしてクリアしていくその過程こそがストーリーだ! と言うのはもっともなのだけど、NPCとのやり取りや、タメのうまく効いた伏線、ファンタシィならではの大風呂敷とかに驚く&驚かせるというのもRPGの楽しみなはずなのだ(“Paladin in Hell”とか読むとホントそう思う)。
 けど、それらのストーリー要素を展開するにはとりあえずPCたちには“生き残り”、“英雄になって”もらわなければならない。

#いや、英雄であることに“生き残る”ことが求められるあたりが、構造的欠陥って言われりゃ、そらもっともなんだけどさ。

 さらに言うなら、ストーリーを楽しんでもらおうと思うからこそ1回のセッションで、ある程度話を進捗させてもらわないと困る。
 そう、物語を進め、展開するためにこそ、このプレイ技術は必要とされる。
 さらにストーリー好きとしては、場合場合にもよるけどゲーム中はある程度ゲーム内の様子にインサイドしていて欲しい。そしてキャラクターとしての判断をして欲しい。そのインサイドを阻む最たるものがじつはルールの確認作業であり、さらに、ルールを誤解していたことでPCの判断が揺らいでしまうこと、だったりする。
 「ヒット・ポイントたくさんあるよ、50ポイントも。だから大丈夫!」
 といって、穴に飛び込むのは無謀さを演出するロールプレイとしてはアリだ。けど、そのあと、
 「深さ200フィートね、落下ダメージ20d6振って」
 「ごめん、今のナシで」
 とか言われると萎えるでしょ。「お前の無謀さは生き残れることを確信しての無謀さなのかッ! 」とか言いたくなる。
 D&D的には、自分の能力を知っているキャラクターが結果を予測した上で“カッコつけ”、そして結果を甘んじて受ける。と言うことがカッコいいのだ。つまり、D&Dにおいて“カッコつけ”たいのならルールを知り、自分に何ができるかわかってないとカッコつけることはできない。
 ハイランス卿のサイトにあった、「落下ダメージは3d6、俺のHPは10!いける」がシビレるくらいにカッコいいのはそこなのだ。期待値10.5に対してああいう賭けに出て勝った時、英雄のそばに居るっていう気になれる。
 そして、その“賭けに出る”という判断こそがキャラクターのロールプレイであり、記憶に残るキャラクターの個性になる。
 話を戻す。
 ストーリーはPCたちが切り開くもので、DMはその環境ときっかけになるようなイベント、展開するようなイベントをいくらか準備しておく。このとき、PCたちが話を進める=事態に対して何らかのアクションを起こす、ことができないとやはり話は進まない。偶然を装ってストーリーを進めてもPCたちの印象には残りにくい。
 PC=PLは自分が積極的に関わり、解決したイベントしか覚えてやがらないものだ。ならば、彼らに解決してもらわなければならない。
 そして、個々の遭遇よりも全体のストーリーラインで魅せようとする立場にとって1回のセッションがただ単にPCたちが陥った状況への対応策で終わってしまうと、全体のストーリーラインを牽引する流れがそのセッションで途切れてしまう。これは、痛い。
 言を重ねることになるが、ストーリーを遊ぼうと思うなら、やはり“単位時間当たりの問題解決能力”は重要になる。