卓上戦諸録(D16)

D16の卓上ゲーム記録

Aマホと対比して、D&Dのおもしろさを考えよう

 RPG(に限らないゲームの)のおもしろさは、Aマホではむき出しになっている。そしてそこへ至るための道スジははるかにAマホが早く軽い。デザイナーズノート通りである。あそこに書いてあることは完全に事実だろう(未読の方はデザイナーズノートの一読をオススメする。痛快、の一言だ)。
 おもしろいのは、小型・最軽量という現在のD&Dとは正反対から切り込んでいるにもかかわらず、前述したようにいくつかの点ではD&Dがそのコンセプトと一致しているようにみえるところだ。
 逆に言えば、AマホのおもしろさからわかるD&Dのおもしろさ、今後の展開もあるはずだ。それを考える。
 
 なお、Aマホについてまじめに書いたのは前のエントリまで。以下はグダグダなので期待しないように。とはいえ、D&D者にとってはそれなりに意味ある文章だと思う。
 
 D&Dの優れたところ。
 実のところ、それはAマホの性能諸元から簡単に導ける。
 D&Dは高い“定型処理能力”を備えているというところだろう。
 D&Dは「ルールに従い、メタ判断を減らせば」マスターによる当たり外れは少なくできる。そうやって遊べる。
 Aマホがきっぱりと『このゲームはSDとプレイヤーの上手い・下手が極端に出やすいゲームです』と言っているのと、まったく別のことをしているのだから当然だろう。
 判定基準をルールというユニットで後から組み込むことで、DM個人の力量でなくD&Dというシステムのみで本来の70%から80%の楽しみが得られる気がする。
 
 誤解を恐れずに言うなら、D&Dにおける“とんでもなくおもしろいマスター”というのは、D&Dの性能を一瞬とはいえ、120%まで引き出せるか、上手に5カウント以内で反則を行なえるマスターだろう。
 で、そんなものは目指さなくて良い。目指してプレイグループ巻き込んでコケるくらいなら、90%をアベレージで発揮できるようになれば良いのではないかと思う。以上、完全に私見。
 
 それは、コンピュータで済む? 否。
 現時点ではまだ、毎月のサプリメントを取捨選択・導入し、プレイグループにテイラーメイドされたプレイ環境を提供するのには人のほうが優れている。そして、定型処理に基づくがゆえに拡張性は高い。
 
 あと、直接のセッションのおもしろさに結びつける有意義な論とならないので、もう本当に茶飲み話でしかないのだが、
 D&D遊ぶ連中のヘンな特徴、それはD&Dのユーザーはマスターについてゆくのではなく、D&Dというゲーム・その遊び方についてゆくという点だろう。
 誤解を招く書き方を敢えてするなら――、
 連中は、たとえプレイ回数が3月にいっぺんでも毎月販売されるサプリを読んではニタニタ夢想し、PCが使いそうもない追加スペルの出来不出来に文句をいい、そもそも特定目的のために用意された上級クラスや基本クラスの汎用性を口角泡飛ばして議論し、禿と髯のどちらが嫌なヤツかを話し、20面で20さえ出せれば良いとゲーマーにあるまじき見苦しい賭けに出て(時々出すから始末が悪い)、見苦しいことこの上ないマルチクラスや+がいっぱいついた武器をありがたがり、コーラとピザとビールとプリングルスを貪り食う連中なのだ。
 そもそもACとSTがあれば良いくせに、スピードファクターがなくなったことで絶望するなよ、つかコピシュなんてお前ら使うのかよ、頼むからおんなじ名前の特技を2つも3つも出すなMind Over Bodyなんざ三つで全部効果違うじゃねーか、ハーフオークでスパイクトチェインで本格ファンタジーとかゆーな……。
 連中は、d20振ってれば良いという点が一番始末に悪い。
「君にとってD&DがほかのRPGよりもおもしろいところって、なに? 」
と聞いたとしよう、連中はいろんなことを言うかもしれない。世界観がどうとか、リアルな戦闘だとか、多彩なキャラクターオプションだとか。けど実のところ、連中の心を捉えているのは、20面と魔法のアイテムとファイアーボールだ。間違いない。
 
 周りを見るに、連中の何割かは、Aマホの時に上げた

      • 情報を集め、
      • 現状を把握、判断し、
      • 行動方針を決定し、
      • リソース投下の決断を下す。

 もさることながら、それを実行する時点での『ルールの行使』それ自体を楽しんでいる気がする。つまり、ルールという道具を行使する喜びで、戦争で言うなら作戦を遂行する楽しみや、戦術を練る楽しみではなく、鉄砲やミサイルをぶっ放す楽しみだ。つまり、10レベルウィザードが10d6をざらざら振る喜びであり、ファイターならクリティカル・ヒットの元に敵を切り伏せ、《薙ぎ払い》を発動する喜びである。
 いわば、ルール言語で記述されたゲーム世界に、自分がやはりルール言語で影響力を及ぼし、そのちょっとした万能感を満たす喜びだ。
 それは、その、困ったことに、この上なく原始的で、そもそもストーリー・ゲームのタクティクス自体とは“一切関係ない”
 
 そんな事がわかるのか? ああ、わかるね!
 俺がそうなんだ(タメイキ)。
 
 まあ、あとは素直に「モノ・オモチャの楽しみ」だろう。
 ミニチュア、フルカラーの製品、そしてWebなどで公開される数々の地図やハンドアウト。これを用意した、えらくかさばるセッションは、ときにそのオモチャに本来の目的を忘れちゃいそうになるけど、愉しい。現在のルールがミニチュア使うのが前提なのにもよるけどさ。
 結局D&Dというのは30年前から一貫して、ミニチュア・オモチャをつかうゲームだったのだし、そしてそれは本国ではごくごく自明のものだった、ようだ。
 けど、日本ではミニチュアは揃えにくい。大貫さんがD&Dを日本に紹介する際、AD&Dではなく、赤箱にしたのは、AD&Dにはミニチュア使用を前提としたルールがあまりに多かったからだというのを読んだことがある。
 
 D16個人としては、この先新規にD&Dを紹介するのであれば、RPGという説明に「物語性」を前面に押し出さないほうが、理解が早いんじゃないだろうかとすら思う事がある。実際、完全なRPG初心者に対して、僕がしている説明は、こうだ。
D&Dは、プレイヤー1人がこのミニチュアで示されるキャラクターというユニットを操作して、パーティを組み、与えられるミッションをマップやジオラマを使った戦闘や、キャラクターの特殊能力でクリアしてゆくゲームです」
 この説明の方が、最初何をするべきなのか、何ができるのかを正確に理解してもらえるようだ。
 かりに、この文章をまったくRPGやD&Dを知らない人が読んで、そこでベーシックセット買って、純粋にボードゲームとして遊んだ(DMは審判として回り持ち)としよう。その人は現在日本で言うところのTRPGとしては20%の楽しみしか味わえないかもしれないけど、D&Dとしては70%くらい楽しめていると思う。
 そしてそういうユーザーは既存のD&Dプレイグループにスムーズに順応できるんじゃないだろうか? 
 
 と、とりあえず取り留めないままに、まる。