卓上戦諸録(D16)

D16の卓上ゲーム記録

思われているよりも世界は広いようで狭く、狭いようで広いのかも

 かつて翻訳RPGがたくさん出ていた時、RPG輸入国だった時代。私たちは、海外の潮流を受け取ることで精一杯だった気がします。海外のRPGの動き(というよりも数々の製品)に詰め込まれたアイデアや情報を消化するので精一杯だった時期というのは確かにあるのです。
 で、今なんですが。
 海外の動向やはやりなどを、あんまり意識しないで遊んでいられる状況ができていると僕は思います。

 もちろん、海外ものの情報を仕入れたり、英語のRPGを遊んでいる人はいます。そーゆーヘヴィ・ユーザーはほうっておきます。中高生のTRPGファンが、期待の新作として「こんどルーンクエストって言うゲームが出るんだってさー」という話をしていたのが僕らの時代だったとするなら、「今度ダブルクロスが第三版になるんだってー」と言うのが今の中高生のTRPGファンではないでしょうか。
 これは日本製のTRPGというものをずっとデザイン、発表し日本に根付かせてきた先人の方々の努力のたまものです。更に言うと、海外TRPGを翻訳・出版して遊べるようにしてきた先達の努力の結果でもあります。英語読まなくてもこれだけ多彩な(ジャンル、システム共に)RPGが遊べる環境って、世界的にみて珍しいんじゃないでしょうか。
#じつはブラジルとロシアあたりもかなりいろいろできてそうな雰囲気はありますが。

 ちらっと台湾や韓国のサイトを斜見すると、あちらのファンは基本的に英語で遊び、そしてユーザー主導で同人翻訳をしているようです。で、それで足りている。逆に言うと、出版翻訳して商業ベースに乗っていないので広まらないというか、「もの好きが遊んでいる」域を出ることができない。本当に遊びたい人間は英語で遊ぶし、それで充分足りてしまう。しかし、その結果として自国オリジナルのTRPGを作るまでには至っていない。の、かなと(自分が物知らずなだけでしたらごめんなさい。状況をより深くご存じの方がいらっしゃったら、指摘頂きたく思います)。
 翻って日本はと言えばこのジャンルで名前を聞く主要なRPGの多くが翻訳されており日本語で遊べるだけでなく、コンセプト的に尖った、オリジナルなTRPGが発表・遊ばれています。先人達は英語でその種のゲームを遊ぶだけでなく、日本語で自分たちのTRPGを造りだし、それを広めてゆきました。

 もちろんこの言語の壁は、日本RPGの独自性を保全するだけでなく、英語圏への進出を阻害する要因にもなっています。先ほど「台湾や韓国のユーザーは英語で遊び、その結果として国産のRPGを作り出すには至ってないのではないか」と仮説を述べましたが、逆に彼らが英語でデザインすれば英語圏にそれを問うことができます。d20ライセンスのことを思えば荒唐無稽なこととは思えません(寡聞にしてそうした存在があったのかどうかは知らないのですが……)。しかし、日本語のTRPGを英訳して世に問うのは障害が多く、難しいのです。

 やや脱線。
 以前井上純弌先生の『天羅万象』が英訳されるという話がながれておりまして、ひょんなことからそのメーリングリストのメールを読むことがありました。その後、実際にどうなっているのかは存じ上げません。
 中で、首謀者らしき方が天羅万象の世界観を説明していたのですが、
『オリエンタルっぽいセッティングでのRPGならLoFR(Legend of Five Rings)があるじゃん。いまさら翻訳する必要なんか無いんじゃね』
 という意見が。
 畜生、ばっかやろう、お前ら全ッ然わかってねえよッ! 誰か、ちょっとあれがどうすごいのか英語で説明してくれ!(俺にはできない)
 などと、思ったものでした。いや、井上さんのセンスは早い。いや、早すぎた!

 と言うことがあるので、この間の『恋するメイドRPG』の英訳完全版のお知らせには快哉を叫んだものです。
 
 で、このような状況下でD&Dと言うのは「RPGの原典」であり、かつ「海外RPGの代表作」というイメージがあります。実際に売る時にも本格派であることや、重厚なファンタジー世界であることをアピールしています。“舶来物の高級品イメージ”というのがあると思います。
 で、そしてそれを見越した上で少々茶化すつもりであの質問があったのだと思うのですが……。

 重厚なファンタジー世界を指向しているなら、基本クラスにモンクはいねえ。とか、
 クイーンズブレイドの前から、ビキニアーマーはエルモアが完成させてる。とか、
 まともなファンタジー世界のモンスターマニュアルにゴジラやサンダやガイラやモスラガメラやガイバーやオーラバトラーのデータ載せてるのはどうなんだ、とか。
 一時期デザイナーがソウルキャリバーに狂ってた影響が、Tome of Battle以降のサプリに見られまして、とか。

 ああ、重厚なイメージ“だけ”が先行している状況はちょっとD&Dにとって不幸だな、と同時に。
 今や、海外のゲームデザイナーすら、日本のマンガ、アニメ、ゲームの影響を受けており、それを彼らなりに自分たちの伝統に盛り込んでいるのだ、ということをお知らせしたかったのですよ。

 も一つ脱線。
 もちろん、D&Dは重厚なファンタジー世界も再現できるし、それを指向している所もある。グレイホークのシリーズの雰囲気は間違いなく、皆さんが思い描く「正統的ファンタジー世界」だと思うしそれを愛する。ある意味見苦しいジャンルごちゃ混ぜを押しつけるべきではない。重厚なファンタジーRPGを遊びたいなら、そのように遊べばいい。
 だが、D&Dはそればかりではない、と言うことは知って置いて欲しい。
 D&Dは三〇年近くアメリカの趣味人が自分の厨房的ロマンを反映した代物であり、我々の思い描く厨房的アプローチはだいたい通過している。

 で。
 4thが出る前までは、「という風に影響は受けています。が、それはそれとしてRPを支援するようなシステムは実装されないでしょう」と言い切れていたと思う。
 が、4thを見た時に思った。彼ら(WoC)はやる時には“やる”。そうすることが、ユーザーを増やしひいてはD&D人口を増やすのに有用だと考えたなら、やる。
 そして、そうしたうえでユーザがいくらかついて行き、新規ユーザを獲得できるのがD&Dというタイトルの底力なのかも知れないと。
「僕たちが思っているよりは、僕たちの楽しんでいる物は海外に影響を及ぼしている」
「現在のところ、WoCは新規ユーザを獲得するためにいろいろな手段を執り、その中にはかつての伝統を敢えて放棄するような物もある」
 これらから、
「日本でTRPGがすげえ流行って、影響が無視できなくなれば、D&Dも影響受けるんじゃね?」
 というD16の考えに、至るわけである。
 
 その上で。
 やっぱりD&Dには、行動推奨や行動を示唆することでRPを支援するシステムは実装されないンじゃないかなという予想を僕は立てる。
 だって、それは属性(Alignment)でやってきて、それ以上の方向にD&Dでは深化しなかった方向だからだ。いや、属性とパーティ内での立ち位置だけでとりあえず何とかなるから、現時点ではまだ必要ないシステムなのかも知れない。D&Dってのはここまで変わってもなお基本はミニチュア・シミュレーションの所があり、その状況下で各種族、クラス、役割の個性が発揮され、そればカッコ良い状況となるようにデータがデザインされている。

 戦闘で、パーティが全滅しないように必死で動く時、それは図らずして上等な演出になる(いや、それを楽しめる余裕がないと見えてこないんだけどさ)。パワーを使う前に、(余裕があるなら)そのパワーのフレバー・テキストを演出してみるといい。特に指揮役系はかなり楽しくなる。

 たしかに4thは3.5に比べてかなり変わったけど、ミニチュアを使って小隊規模の戦闘をすると言う点については全然変わっていない。いや、むしろそちらの方向への指向をDDMからのフィードバックをえて先鋭化したしたという感じがするくらいだ。つまりは、“ミニチュアを使って小隊規模の戦闘をする”というところはこの先も変わらないのかも知れないし、そこにPC間のRP支援を組み込むのは”ナニか違う”という印象がD16にはある。
 逆に、D&D4thのモダンが出たらそちらにはPC間のRP支援システムが実装されてもおかしくないかなーと思っているのだけど。
 まとまらぬママに。
 うえ、腰いてえ。