胡蝶の夢
この間の夢http://d.hatena.ne.jp/D16/20040428でもそうなのだけど、割とはっきりとした夢を見ることがある。
夢自体はみんな見ているそうだから、僕の場合は見た夢を忘れないってだけなんだろうけど、時折自分でびっくりするくらい詳細な夢を見てしまい、実際の記憶とごっちゃになることがしばしばある。一番多いのがマンガを読んでいる記憶だ。
割合で言うとマンガ雑誌を立ち読みしていることが多い。ただ、立ち読みというシチュエーションも僕自身がマンガ雑誌を買う習慣をほとんど持たないっていうことから外挿している記憶かもしれない。
ただ、そう思う理由ってのがそれこそ、夢で見ているディテールによっていて。
雑誌の「ハシラ」や「アオリ」、あとマンガの中のモブ(群集)シーンの顔をやたら鮮明に見ているのだ。しかもそれを楽しんでいるらしい。
雑誌のハシラとかは例えば最終ページで「愛した人が父だった!?僕の町は銭湯だった。次号急展開!!」とか「先輩、私のこと憶えていてください……終わる夏、続く秋。ふたりはどこへ?」とか、「役者はそろった、さぁ、反撃だ!〜藤田先生の次回作にご期待ください」とか、そんなヤツだ。
モブシーンに至っては本筋は覚えていないのに、他の(しかも実在する)マンガのキャラクターが電車に乗っていたり、観客席に座ってたいたりするのだ。「エリア88」のその他大勢パイロットの中にヤッタランがいたりするのはまだわかるけど、「ミナミの帝王」で「カイジ」が追い込みをかけられていてなんて夢も見る。
「ブラックエンジェルス対マーダーライセンス牙」なんかは現実と夢のタイミングがえらく近くて自分の中でどれが事実か迷ったりしていた。
夢でこれだけ精細にまんがが見られるのなら、大長編ドラえもんとして藤子・F・不二雄の有名キャラクターが「大甲子園」のごとく集合する話や、「魔獣結社」の続きが見られないものかと思うのだけど、あいにくと本編の筋は覚えていないことが多い。
はなはだしいのは雑誌の投稿ページをひたすら読んでいる時があって、「あ、この雑誌、三峰徹*1さんの投稿載ってないや。新しいレーベルかそれともつぶれる寸前かどっちかだな」と夢の中で納得してたりするんだこれが。
つらつら思うに、これは多分ヒトの視覚情報の認知プロセスが如実に現れている実例じゃないかと思う。
視覚を通して入ってくる情報ってのは膨大だけど、ヒトはその中から自分にとって重要な情報のみを取捨選択して記憶している。だからこそ、興味ないこと関係ないとされることは覚えていない……だったと思う(下條先生の講義聞いてたの大昔だもんなぁ)。で、マンガにおいてはそのマンガで描かれるストーリーを「マンガを読んだ記憶」として圧縮して記憶しているんだろう。
もちろん、視覚を通した情報は視覚として認識される以上脳までは到達してるわけで、記録はされている。視覚情報である紙面のコマ割、ネームなどを物語の記憶であるストーリーに圧縮する作業が記録→記憶になる最中で行なわれてるハズ(だったと思う)
従って、夢の中で見るマンガ雑誌では本筋よりもハシラやアオリ、投稿コーナーや巻末広告の方を良く見るんだろうなぁ。
とりあえず、こんなところでフリーシンキング訓練終了にしておきます。