卓上戦諸録(D16)

D16の卓上ゲーム記録

Aマホの感想(2)メタゲーム的思考の解決

 RPGは碁や将棋といった抽象ゲームと違って、多様な判断を要求する状況が多い。それゆえ、どうしてもある程度はルールのカバーする範囲を離れ、マスターによる判断に頼るところがでてくる。
 ルール外判断はどうしても、起こる。それをRPGはどのように克服してきたか。D16が知る限りここまでそれは2つのやり方があった。

解決方法1
 マスターとプレイヤーによる相互理解。
 マスターによるメタ判断、明文化されない判断基準を、セッションを重ねてゆくことによりPL側が誤差を修正、収束プレイグループの判断基準を自分達のものにしてゆく。
 明確な手法によるのではなく、ひたすらに誤差修正をおこない、自分達のプレイグループのかけがえない基準を作ってゆく。

 おそらく、これまではこれが王道であった。
 重ねたセッションが作るそのプレイグループの判断基準っていうヤツは、参加者全員の好みも偏差も組み込んだ、納得できる基準であり、プレイグループの宝といっていい。
 だが、新規参加者はやはり数回以上のセッションで、自分の判断をそのプレイグループに擦り合わせてゆく必要がある。もちろん受け入れる側の既存メンバーもだ。だが、擦り合わせによる変化を居心地が悪いと感じるメンバーは常に存在する。
 さらに、この離島的な基準はコンベンションなどの場所では通用しない。そうした場では暫定基準なり、なかば個人の才覚によるプロトコールによって一時的な卓の相互理解を図る必要がある。そしてそれは決して容易に身につく技術ではない。

解決方法2
 D&Dパワープレイ、本邦ではBeholder式パワープレイといっておく。詳細はリンク先参照、
 
 厳密に言うなら、ここであげているのは、リンク先で提唱されたパワープレイの基本思想の一部である。
 “DMによる恣意的な判断”を最小とするため、PLとDMが“ルール”という共通言語でゲーム内の状況を記述する。共通の概念を操作する言語を用い、齟齬の生じる隙を作らない。
 DMの判断基準のうえに、DMとPL双方共通の判断基準である“ルール”を置くというスタンスであり、多様な状況に対して、対応するルールを随時発表、導入して行く。

 言わば、覇道。
 これができたのは、D&Dという、実はすごく狭いジャンルを遊ぶルール故と言えるだろう。

#それだって、たいていのことはこなせるし、ケンタウロスと結婚したドワーフの子供がどうなるかなんてルールや、次元間戦争を記述するルールだって(オフィシャルではないが)ある。
##逆に、麗しの姫の無聊を慰めるために詩歌を吟ずるなんてのは、キャラのロールプレイ的なところが入るのかもしれない。まぁ、技能ロールや【魅力】判定一発振りで解決させるようなのもありえるが。
###つまるところ、重点が置かれているのが切った張ったであり、そこに注力している(ジャンルが狭い)からこうしたことが可能だった。

 優れている点は、製品としてのルールが流通していて、それをこのスタイルで遊んでいるなら、(そして聖典判読の如きルール論争に一定の合意をとれたなら)、どこでも誰とでも遊べるはずというところだろう、囲碁や将棋のように初顔でもある程度は遊べるのだ。
 難点は、膨れ上がるルール管理の手間だろう。さらに、ルールに習熟するという時点でその段階に個人差はでてしまい、共通理解に差は出る。

Aマホの解決方法
 メタゲーム的な思考を組み込んでいるあたりが、このゲームのキモかもしれない。
 確かに、裁定の判断・基準はSDにある。だが、SDには厳然とした禁則事項がある。ルールブックに定められているとおり、
「SDは進行役も物語の語り部も行なわない。それをすることは厳重に禁止されている」
 ルールにはっきりと“恣意的な判断の禁止”が示されており、そして、ゲームの進行手続きでそれが実行されるようになっている。

 SDがセッションで権限を行使する一番目立つ行動、すなわち、成功要素の“抽出”においては、抽出しなかったつまり、認めなかった要素については、“その理由を説明する必要がある”。
 また、プレイヤーもSDに抽出されなかった理由を尋ねることができ、SDはゲームの進行を止めないと判断する限りそれに“答えなければならない”。
 つまり、SDには自分の判断基準を説明する義務があり、このガラス張りの判断過程を元に、PLは判断を修正できるのである。

 理解をすり合わせることにおいて、解決方法1とやっていることは同じようにみえるが、Aマホではこれは厳然としたゲームとして要求される手続きであり、けっしてマナーや暗黙知や“空気を読む”とった漠然としたものではない。
 確固とした判断基準を得る手段である。
 SDの性向・偏差をPLが認識し、あわせて収束できる不可欠のルールであり、「M*〜」から始まるゲームを解決するための不可欠な手順でもある。
 というよりもこの理解を成立させる事が、すでにゲームなのだ。

 Aマホにおいて、“ゲーム内判断”と“ゲーム外判断”は一体化する。
 そこに、もはやダブルスタンダードおよびそこからの諸問題が発生する余地は、ない。
 実のところ、メタゲーム的思考・マスターの恣意的判断を廃絶することを目的とする点で、D&DパワープレイとAマホの目的は一致する。
 片方は、DMをある意味ルールで矯正し、入力と出力の間の関係を信の置ける一定のものにするという手法。
 もう片方は、SDを丸裸にし、その応答をガラス張りにしてゆくことで、プレイヤーが入力出力の関係を把握するという手法なのだ。
 望む出力を得るために、PLが入力を加減する。SDからの応答の誤差を次の入力時にフィードバックする。Aマホのルールブックにある、“静止状態で負の安定性を持つ”、ということの謂いはこういうことかとD16は考えた。

#もちろん、個人の意見なので鵜呑み禁止。「ぜんぜんちげーよ」って言われて、恥をかくのは僕一人でいい。