卓上戦諸録(D16)

D16の卓上ゲーム記録

競技と興行という視点

 RPGに対するシミュレーションゲーム、プロレスに対するアマレスをはじめとした格闘技スポーツの違いでもっとも大きなものは、どちらも競技者、主催者(裁定者)という直接のアクションに関わるものとは別の観客という視点を持つことだ。競技にコミットするものたちだけが楽しければ良いとは限らないところが事態をややこしくする。
 プロレスにおける観客の存在は自明だが、RPGにおける観客とは誰を指すか? それは卓を囲むプレイグループである。DMとプレイヤー1対1という最低限の状況であれ、互いのリアクションを観賞し評価する関係が成り立つ。さらにはプレイヤーは自分のPCの行動を半ば客観的に見ることができるので、自分のキャラクターの活躍を観賞するという視点も成立する。
 課題をクリアする過程そのものを楽しむ、それは自分が前に、
http://d.hatena.ne.jp/D16/20050209#p1
http://d.hatena.ne.jp/D16/20050209#p2
 D&Dにおける物語は取り組んだPCたちの奮闘の過程、結果であり、そこには演出はない」といったことなのだけど、それとは別に明らかに自分たちが成し遂げている冒険を一歩はなれたところで見て楽しむ楽しみがある。
 たとえば、仲間のPCが成し遂げる英雄的行為や、当意即妙な受け答え。複数人で遊んでいる場合はこうしたアクションを行なう人間、はたでそれを見ている感動なり、腹を抱えて笑うなりする人間がいる。参加者は自分の行動では競技的にベストを尽くす行動をとりつつも、他者の行動を評価することができる。
 ただし、この時立場が違う人間が1人だけ、いる。
 それがゲームマスターであり、興行主である。
 参加者が取り組むべき課題を提示することは、マスターにしかできない。プレイヤーから
の自発的な冒険の要請があっても、それを用意し、管理するマスターがいなければ冒険は行なえない。
 興行のカード、ルールを提示するのは興行主であり、レスラーからの特定カードの要請があっても興行主がそれを承服しカードを組まない限りは対戦は成立しない。
 セッションの枠組みを決めることができる、それを委任されている参加者がDMである。DMは参加者の傾向を知り、現在に至るセッションの動向をかんがみ、そしてセッションの枠組み=レギュレーションを決定し、興行の対戦カード=冒険を提示する。その求めるとことは参加者の高いレベルでの満足である。つまり、競技者としてベストを尽くすこと+観客として見ごたえある行動を観賞できること、だ。