カサンドラであって<del datetime="2007-04-27T00:11:48+09:00">欲しい</del>欲しくないD16の意見
○はじめに
『呪文大辞典』*1が発売されました。
夢じゃ、あんめえか。
そう、思います。
3.5版に限っても、現在日本でのD&Dプロダクト総数は、コア3冊+1(サイオニック)、クラス・種族本7つ、PHBII、高貴本に呪文大辞典。世界モノはレルムのプレイガイドとアンダーダーク、エベロンとエベロンのプレイヤーズガイド。この時点で18冊。
3.0版の時のサプリで3.5版転用が可能なものを足すと、+10冊に公式シナリオが連作8冊、大作1つ。まぁ、ざっと数えても37冊くらい。ヌケは勘弁。
1つのゲームタイトル製品数としては、日本でも屈指の数です。
翻訳スタッフの一員として勝手にではありますが、日本語版ユーザの皆様に感謝を申し上げます。ありがとう!
で、一息ついたその上で、いちD&Dゲーマーとして日本のD&D環境についての雑感を書いてみようと思います。もしかしたら、あまり景気の良い話には聞こえないかもしれませんが、ちょっとお付き合いいただけますでしょうか?
○カサンドラの言葉
実のところ、D&Dに関わるゲーマーとしての自分は、今の日本のD&D環境は全然ばら色なんかじゃないって思っています。
むしろ、ろうそくの最後の炎、消える直前の輝きなんではないかと。そう思わずにはいられない。
D16は製品の“充実ぶり”という点で今の環境は、かつて、新和からD&Dが出てたころに劣ると思っています。感じている危機感はそこです。
40近いアイテムがでていてなお、“充実には遠い”。そう思う理由はただ一つ。
製品としてのシナリオの供給が少ないってことです。
これはもう、絶望的に少ない。
新和の時に出ていた製品モジュールの数は、1〜3レベル対応7つ、4〜14対応9つ、15〜25対応3つ、26〜36対応1つ、ソロモジュール4つ。あわせて、24本。いずれも変形A4の32ページでジャンル・舞台(ダンジョンハック、サバイバル、海洋冒険、異次元界探索、戦役などなど)も多彩なものでした(同じく細かいヌケは勘弁)。
翻って現在の日本のD&D環境を見てみましょう。
まず、恐ろしいことに“3.5版のシナリオはまだ1冊も出ていない”。この事実があります。製品としてのシナリオを遊ぼうと思ったら3.0版をコンバートせねばなりません。でもって、製品の数は連作8つに『邪悪寺院再び』を入れて9冊。邪悪寺院が大部のものであるといっても、シナリオの数の不足は明らかです。
確かに、日本語でのシナリオはゲームぎゃざやHJのサイトから供給されてます。ですが、この論においては今の国産D&Dシナリオは考慮に入れられません。なぜなら、TSRやWoCから刊行されているシナリオと国産D&Dシナリオはその目的が異なるため、同じ立場で論じられないからです。
*1:[asin:4894255332:detail]
カサンドラ(略)続き
○シナリオで知るゲームシステム
やや本論から離れますが、D&Dにおける、WoC・TSRの製品D&Dシナリオ(以下製品シナリオと呼びます)と国産D&Dシナリオの(D16が理解している)違いについてここで明らかにしておきましょう。
それは「遊び方の提示を含んでいるか」と言うことです。ゲーム・システムから導かれる冒険のあり方をプロのデザイナーが「このゲームはこんな風にも遊べる。こんな風に遊ぶ」と、いわば模範として示しているかということです。
確かに製品としてのシナリオに求められる要件の一つは、「DMの準備の手間を減らし」、「(比較的)適正な冒険を提供する」ことでしょう。そして、国産のシナリオはこの点は、限られたページ数の中で、間違いなくクリアしています。
ですが、D&Dというゲームの可能性を提示し、DMを新たな局面にいざなうには記述が足りなさ過ぎる。ありていに言って、骨格しか準備できていない。仕方ありません、肉づけをする紙面が与えられていないのです。最初の立ち居地の時点で勝負にならないのです。ライターの苦悩が目に見えます。
D&Dのマニュアルは、基本的に裁定に必要なルール・データをまとめたものです。遊び方(運用)のガイドラインは3.0版以降はコア・マニュアルにまとめられました。各卓で生じるであろう問題への解決方法やゲーム・マナーについての言及などがそれです。ただ、それでも「このゲームをどうやって遊ぶのか」ということについての十分とはいいがたい。*1
製品シナリオというものは「このゲームはこう遊ぶ」、「このような冒険が可能である」、「このゲームでこんなことまでできる」ということを示してくれます。つまりこれは、ユーザにシステムの運用方法を示してくれる存在なのです。
コアのルールブックが“法令集”であるとしたら、シナリオは“判例集”といっていいでしょう。どのルールをどのように使うか。それによりどんな冒険を提示するか。
シナリオの自作は可能です。ですが、プロのデザイナが作るシナリオはやはりプロの製品なのです。はっきりとクオリティも目的も違います。プロ・デザイナの作る製品シナリオはDMにとっての参考書であり、教科書であり、レシピ集なのです。
国産D&Dシナリオにはそこまでのことが求められてませんし、それを実現するだけのページ数もありません。限られた紙面と頭打ちされた労力の中でベストを尽くし、セッションを可能にするだけの遭遇を記すので精一杯です。
トップ・モデルを履いた裏山のスキーヤー
本論に戻ります。
先ほどD16は「国内のD&D環境は決して楽観視できない」と述べました。その根拠としてあげたのは製品シナリオの少なさです。製品シナリオの翻訳が少ないことで一体どのようなことになっているのでしょう?
1つには、「D&D本来の性能が発揮される冒険」をユーザが体験できないということです。
D&Dが扱う冒険の舞台は空間的(海洋、極地、山岳)にも、文明的(ヨーロッパ風ファンタシィ、中近東説話、ゴシックホラー風味、カンフーアクション、パルプ小説的秘境アクション)にも、概念的(『神曲』や『甲賀三郎説話』のような宗教的異世界)にも広大です。
一応言っておくとここで挙げた例は基本3冊で十分対応できます。(それ用のサプリももちろん出てますけどね)
海外ではDungeon誌やWoC社のサイトからダウンロードできるシナリオなどによって、こうした冒険がシナリオとして発表されており、その多彩さは素晴らしいものがあります。
さらに、D&DというゲームはPCのレベル帯によってまったく異なる様相の冒険を遊べます。よく言われることですが、ファイアーボール以前以後、テレポート以前以後でまったくプレイ感覚が変わり、それでもなお世界は連続しているのです。
ありていに言って、独学だけで遊びつくすことはほぼ不可能ではあんめぇか、とD16は考えます。
けれど、日本ではこうしたシナリオ≒判例集、レシピ集が無いために、日本語環境オンリーのユーザはD&Dというジャンルのごく一部でしか遊べない。
数々のサプリメントはキャラクターに多彩な冒険を可能にする道具ですが、その(パワー・ゲーム的な意味ではない)道具の使い方が広まっているとは言いがたい。
国内のD&D環境を例えるならば、レーシング・モデルのスキー板、ビンディング、靴を揃えた上で裏山のリフト一本のゲレンデを繰り返し滑るという状況でしょう。
確かに、板(コア・ルールブック)もビンディングやスキー・ウェア(各種サプリメント)も素晴らしい水準のものが揃ってます。しかし、滑っているゲレンデは狭く(多様性に欠ける)距離も起伏の激しさも物足りない。
スキー(D&D≒RPG)というジャンルを定着させ、ユーザを育てるにはそれらの道具(ルール)の性能を十二分に発揮させるゲレンデ(冒険の舞台≒製品シナリオ)が不可欠なのです。
そのゲレンデも難易度にコースの長さ、対応レベルが多様なものを提供できるのが望ましい。そこでユーザはこのゲームの楽しさをさまざまに知るでしょうし、他者が同じコース(シナリオ)をどのように遊んだか見聞きし比べることで、互いに話題を交換し合えるのです。*1
D16の個人的な見解を述べさせて貰うならば、D&Dにまつわる評価、D&Dの価値というのは単なるRPGのシステムにあるのではありません。
量、品質、対応レベル、舞台の各段階で膨大なリソースが用意されてあり、ユーザはそれを取捨選択して(必要に応じて自作して)、自分たちのゲーム、セッションを作り出せる環境。何かをしたくなった時に公式であれ、非公式であれそのための情報やノウハウが蓄積されており、アクセスできる環境。
単なる1ゲーム・システムを越えた、D&Dという1つの文化を運営しているユーザ集団(この中にはプロ・デザイナもいます)の存在がD&Dの価値なのです。
いうなれば、D&Dとは、d20を使うシステムの名ではありません。D&Dとはゲームを提供する環境の名なのです。
そう、D16は考えます(完全に独断なので、人に話して恥をかいても責任はもてませんけど)。
英語を読めるユーザは、自分から情報を発信することが無くても、雑誌やサイトやBBSの情報からこのD&D文化にアクセスできます。したがって利益を享受できる。しかし、翻訳はどうしても日本での商品展開に乗る必要がある。明らかに数売れることが見込めない製品(そう、シナリオです)はどうしても優先順位が下がってしまう。
その結果が「トップ・モデルを履いた裏山のスキーヤー」なのです。
○メーカ側からのインストラクション不在
さらにもう1つ。製品シナリオというのは、(基本的には)デザイナがD&Dの魅力や得意とするところをアピールし、冒険の状況の扱い方を示すDM教本としての役割も持っています。
確かにコアのルールブックにはよきマスタになるための手法は説かれています。しかしD16の所感からすれば、それはやはりDMの“原則”であり重要だけど“概念的”、“教条的”なものなんですね。実際のセッションにおけるDMとしてのルール運用のアドバイスなどではない。
つまり「裏山のトップ・モデル・スキーヤー」は見よう見まねの独学で、滑り方を学ぶほかない。*2
じゃあ、どうする? シナリオだ!
さぁ、製品シナリオの話をしましょう。
『赤い手は滅びのしるし』(原題:Red Hand of Doom)*1と『鬼哭き穴に潜む罠』(原題:Scourge of the Howling Horde)が翻訳されます。
前項で述べた“D&Dという環境”を完全に輸入することは、現在は無理です。翻訳サイトの性能が上がるのを待つとしましょう。さらに言うなら海外のD&D環境を丸ごと輸入できるというのが理想とも思えません。スタージョン則の通りに90%は屑です、多分(検証はしてません。する気も無い)。
うぬぼれるわけではないですし、実際に日本語で何を出すか決定するのはHJの方々なのですが、日本でのD&D製品は10%の方を選んでると思います。
で、この日本に紹介される2つのシナリオは10%のなかでも最上級品です。
『赤い手は滅びのしるし』は5〜10レベル対象の叙事詩的なシナリオ。『鬼哭き穴に潜む罠』は1レベルPC対応の本当に基本的な、そして痒いところに手の届く完璧な入門用シナリオです。
特に『鬼哭き穴に潜む罠』のシナリオ書式は、これまでのシナリオとは異なり、1つの見開きで1つの遭遇を説明するという、DMへの説明や状況の説明が豊富なものであり、いうなれば“DM練習帖”、“初めてのマスタリング・ドリル”とでも言うべきものになっています。これからD&Dをはじめようというのであればコア・ルールとこのシナリオを買うのが一番です。
シナリオの提供方法というか形式も3.5版になったのだな、そうしみじみ実感できる出来で、このあたりの紹介は刊行が近づいたら是非、別に行ないたいところ。
ここでは『赤い手は滅びのしるし』を紹介しましょう。
○叙事詩的な冒険を遊ぶ
このシナリオは、D&Dを遊び始め、ある程度ルールもわかってきたけれどダンジョン・ハックにはそろそろ飽きてきたかなという人たちに、まさにオススメです。D&Dの可能性を引き出し、提示してくれるシナリオだからです。
D16の思うところ、D&Dというのは“叙事詩的な冒険”を行なえるゲームであり、さまざまな状況に対応するルールやデータは、そのために揃えられているものです。
もちろん、ダンジョンをひたすら突破してゆき、閉空間でのカツカツのリソース管理をしてゆくというスタイルでもD&Dは十分に楽しめます。
背景世界との相互作用には重きをおかず、状況への挑戦、ゲーム的、パズル的に遊ぶ。これもまたおもしろい。
だが、D&Dはそれ以外の遊びももちろんできるのです。
架空世界の一部として、NPCや社会に働きかけ、自分たちで状況を変えてゆく。人々を指揮し、迫り来る軍勢から逃げ延びるだけではなく、自ら策を練って敵を迎え撃つことだってできるでしょう。
『赤い手は滅びのしるし』にはこの物語を遊ぶためのデータ・資料がすべて揃っています。
背景設定、魅力的なNPC、PCたちの働きかけを待つプロット、事件の進行を示すタイムスケジュール、ランダム遭遇表、気候の情報、そして、その背景世界でPC達が自由に動くことを保証するデータ、データ、データ。
冒険の舞台となるエルシア谷の説明にはほぼ1章が費やされ、その中にはPC達が接さないかもしれない情報、訪れないかもしれない村、言葉を交わさないかもしれないNPCの情報が記されています。けれど、その情報は無駄ではありません。なぜなら、PCたちはこの地図の上を(望むのであれば)縦横無尽に駆け巡り、押し寄せるホブゴブリンの大群と戦えるからです。
さらに、各章、各遭遇にはデザイナーからのアドバイスや、遭遇デザインの意図、遭遇を行なった後の発展のさせ方までコラムが配されてます。PC達がどんな行動をとっても、対応できるでしょう。
読みさえすれば、DMはこの叙事詩的なシナリオを実行できます。さらに、これを“読み込め”ばこうしたシナリオを自作し、実行するためのノウハウも得られるでしょう。
これこそが“製品の”シナリオなのです。
これこそが、サプリメント1冊に等しいだけの金額を支払うに足る“製品”なのです。
実のところ、このシナリオはD&D者以上に、若くて国産ゲームを遊ぶ人たち、特にかつてHJから出ていた名作RPGのシナリオ(『ニャルラトテップの仮面』や『トラベラー・アドベンチャー』などなど)を“知らない人”、“読んだこと無い人”にこそぜひ読んで欲しいシナリオだったりします。
決して無駄にはなりません。
このシナリオはモンスターの差し替えやところどころの判定処理を移し変えれば、汎用のファンタジーRPG用シナリオとして、D&D以外のアリアンロッドやソード・ワールドなどのファンタジーRPGシステムでもおそらく十分遊べるでしょう。*2
結びというかなんと言うか
D16はこの文章のはじめで、D&Dの真価はd20をつかうゲームシステムにあるのではなく、遊ぶ環境を提供できるところにあるのではないかと書きました。
そして、そもそも英語でのD&D環境をそのまま日本の環境に持ってくることはできないのではないかとも。
ですが、D&Dの底力はここで明らかにされます。
WoCが本気になって作った製品のシナリオ、製品の入門者用シナリオというものは、“単体で基礎的なD&D環境を提供するだけの力”があります。
製品シナリオというものは、単なるダンジョンマップ、準備された遭遇、NPCデータ、プロットを一括したものではありません。それ以上のもの、1つのジャンルを輸出し理解させるだけの力を備えたものです。
「シナリオは売れない」
RPG系サイトで時折目にする、そして説得力のあるフレーズです。
けれど、僕は(なかば当事者であるにもかかわらず、恥知らずにも)言います。
「なら、買え」と。
「シナリオは売れない」、このように小売や営業の人が言うのは構いません、単なる事実です。
けれど、ユーザであるわれわれがそんなセリフでものを判ったような振りをするのは間違っている。
消費者にとって、買うことに勝る意思表示はありません。そして、WoCからは先シーズンも今シーズンも、すでに魅力的なシナリオ・タイトルが発表されてます。
D16イチオシは、『鬼哭き穴に潜む罠』と同じ様式で一地方の設定や上級クラス、陣営のデータ、プレイヤーに渡すビジュアル・ハンドアウトまで備えた『The Shattered Gates of Slaughtergarde』。
これらを出すことで、そして遊んで貰うことで、D&Dを遊ぶ仲間はもっと増えると思いますし、それによってもっと日本のD&D環境は面白くなるでしょう。
もっと、遊びたいなら。
もっと、製品展開を望むなら。
もっと、仲間を増やしたいなら。
シナリオを買っていろんな人と遊ぶのが一番です。買ってください。
間違い修正
カサンドラ、カッサンドラ
「イリアス」の登場人物の一人。プリアモスの娘。トロイア王女であり、予言の力を持つが、アポロンの呪いによって誰もその予言を信じないという悲劇の人物。トロイアの滅びを事ごとに予言するが、やっぱり誰にも信じてもらえない。
(後略)
D16の真意→「悲劇的(というかいやなこと)いうけど、これで何か考えて貰って、取り越し苦労になるといいな」
カサンドラであって欲しい→「言葉は信じてもらえなくて構わないから、予測(日本でのD&D環境衰退)が的中するといいな」
駄目じゃん。まちがいまちがい。
トラバ先などで指摘してくれた方感謝、でもって恥ずかしいので身悶えてます。
単純に「取り越し苦労であって欲しい」とかすれば良かったのにねぇ。